ISSEY MIYAKE、知ってる?
〇よくされる質問
「なんでイッセイミヤケが好きなの?」
これは僕がよくされる質問だ。
「なんか好きなものあるー?」
「あ、服好き。イッセイミヤケとか」
「ふーん。どんなとこが好きなの?」
...伝わらん。100%伝わらん。
てか、そんな一言二言で伝わってたまるかって感じだ。
そうでなければ僕が三宅一生自身についてこんなに探究することはないのだ。
でも、そんな時にこのブログを紹介すれば、なんとなく「あ、そーゆー背景なのね」と分かってもらえるかもしれない。
そんな感じで書き始めた。
あと、コロナ休暇で暇すぎる...(むしろこっちが優位?)
にわかながらお付き合い下さい。
〇服飾について
服の世界は広い。
例えるなら、本。
同じような系統だったり、派生だったりあるけれど、すべてを読み切ることは到底不可能。
そんな中、服好きにとってイッセイミヤケはある種の"古典"的なニュアンスがある。
日本三大ブランドといえば
・コムデギャルソン(COMME des GARCON)
の3つ。
それぞれ
・川久保玲
・山本耀司
・三宅一生
が立ち上げたモノ。(敬称略)
これらは1980年代に世界に認められ始めたブランド達で、コムデギャルソンなどが「黒の衝撃」といわれるコレクションを行ったことなどが有名だ。
コムデギャルソンはPLAYなどのようにアイコニックな物や、他にも物凄い数のライン(同じブランドだけどテイストが違う路線のこと)がある。
ヨウジヤマモトも同様に多くのラインが存在するのだが、Y-3などのように、スポーティー路線もあったりする。
ここらへんの話は、話すとものすごく長くなるので割愛。
ところでイッセイミヤケはというと、
・ISSEY MIYAKE MEN(イッセイミヤケ メン)
・Homme Plisse ISSEY MIYAKE(オムプリッセ イッセイミヤケ)
(男性ラインのみ)
といった感じで、凄くシンプル。
アピールポイントとしては
・上品だけど少し外した色遣い
・プリーツに代表される技術力
だ。
この、技術力の部分がイッセイミヤケをイッセイミヤケたらしめる要因だと思うのだ。
〇三宅一生氏の哲学「一枚の布」
単なる「服が好き」な人はデザインなどの観点から他の服を選ぶと思う。
しかし、三宅一生は服を「ものづくり」=「一枚の布」として捉えており、その意志が服にも現れている。
”僕自身はいま、自分の作るものをファッションと呼んでいません。むしろデザインであると、そう思っています。なぜなら、一過性で消費されることを目的とするファッションとは、スタンスが違うので。”
「一過性でないものづくり」
この意志が数々の人々を惹きつけてやまない精神になっていると思う。
例えば、イッセイミヤケを代表する技術である「プリーツ」
これは三宅一生のプリーツの生地を裁断して仕立てる技法を行わず、服の形を先に縫製してからプリーツ加工を行うことで、イッセイミヤケ特有のシルエットを作ることに成功している。
まさに「一枚の布」の哲学が貫かれているのだ。
〇MyMIYAKE
僕の所有するミヤケちゃん達を紹介しよう。
スティーブ・ジョブズ氏も持っていたというロンT。もともとジョブスは伝記を読んでから大ファンだったので、共通のものを着てると知ったときはめちゃめちゃテンション上がった。ものすごく着やすくて、最高の生地感。前にカッティングがあるのが特徴。大体2万円。
・ビックT
オムプリッセで買ったもの。なんと広げると平面になる構造。少しお腹の出てる人が着ても全く気にならない。ただ、身体を鍛えてもそれが認知されないというのもある(残念)。1万円。
・時計
シンプルすぎて最初はどう読んだらいいかわからなかった(慣れた)。吉岡徳仁という建築も手掛けるデザイナーとのアイテム。もうこれなんて芸術の域でしょ。5万円くらい。
他にもプリーツシャツだったりブレスレットだったりがあるが長くなるのでここまで。
マイルールとしては、「気合を入れるときはイッセイミヤケをどこかに取り入れる」てのがあります。
まぁそんな感じで使ってます。
〇服を着ること
三宅一生は問う。
「服を着るってどういうこと?」と。
僕は服を、自分の最表面に位置するものだと考えている。
人なんて生物学的にみたら個体はほぼ同じだし、誰が何を考えているかなんて裸の見た目だけじゃ全くわからない。
最初は防護として服を身につけたと思うが、安全が確保された今、意味合いは異なってきている。
現代での服は防護的な意味よりも「自己表現」としての記号だと思っている。
その人が何が好きなのか、何に興味があるのか、そういったものが服に表れる。
バンドが好きな人はバンドT着るし
韓国が好きな人はメイクに拘るし
同じようなもの。
そういった中で、自己表現としての服を選択させる三宅一生、「ものづくり」としての価値観を持ちながらも探求をつづける精神は、他のブランドと一線を画すと思う。
だから数万もする布に人々はお金を払う。なぜなら、自分の内面を少しでも外面に出す手段としては「服」は大きな手段を果たすから。
これを読んでみなさんに少しでも興味を持ってもらえたら嬉しいです。
おしまい。